居合道の「目付け」その2

仮想敵を相手とする居合道においては、敵対動作の基本といえる「目付け」の習得は簡単ではない。普段、意識して稽古しているつもりでも、相手をよく見て動く動作が、不十分である。私の、引き続いての修業上の課題である。

◆紙本栄一編著「初伝 大森流」は「目付け」について、次のように説く。

目付けは、敵の顔面につけるのが自然の理にかなっている。しかし、遠山の目付といって、敵の顔面を中心に頭から足の先まで体全体を、遠山を見るごとくに見るのが、目付の基本である。中でも重きをおくべきは敵の両拳と剣先である。全体を捉えつつこの2点が目の内にあれば、敵の技の起こりを察知できるからであるが、千葉周作などは二つの目付と称している。・・・<中略>・・・

居合も修業がある程度進んでくると、仮想敵の心に目をつけることが求めなければならない。これを目心、棒心の目付などというが要は心眼をひらいて敵の心にそれを付けよ、というのである。宮本武蔵も見の目、すなわち肉眼で敵の部分部分を見る目付けより、観の目、つまり心眼に重きをおけと説いている。・・・<中略>・・・

居合は鞘の内に敵の心をひっとらえ、吾が心をもって敵心を打つのを旨としているから、目付けも段々に部分よりは全体へ、肉眼より心眼へと練り上げていくことが大事である。

「仮想敵の心に目を付ける」「心眼に重きをおけ」は一朝一夕にはできがたい遠大な課題ともいえよう。当面は、敵を意識した遠山の目付けが修業のポイント。

そういえば、小林範士も「敵をよく見て動け」と強調された。