居合の意義及び基本

 

紙本榮一編著「夢想神伝流居合」の意義に再度触れる。その修業は、やはり難しいといわざるを得ない。道は遠い。

1. 居合は「鞘の内」とも呼ばれる。抜かぬ前に吾が心法の利をもって、敵の心を制圧し、技の起こりを封じ、体の働きを奪いとる。それでもなお敵、害意を失わず切り懸けくるや、鞘放れの一刀、剣光一閃のうちにこれをたおすのが、居合の大精神である。居合の秘歌に「居合とは人に切られず人切らず只受けとめて平らかに勝つ」とあるのも、この精神を詠みこんだものと解されるのである。
2. 居合の根源は心法にある。心法に始まり、抜刀に中し、心法に終わるのが居合である。その至妙なる動静一如の境位に至るには、畢竟、心法によるほかないからである。居合の修業がすなわち人間形成に直結するといわれるゆえんも、実はここにある。
心法といえば、そのひとつに沢庵禅師の「不動智」に述べられている所見がある。<後略>宮本武蔵は、「兵法の道において心の持ちようは、常の心に替る事なかれ」という。
3.居合は歩くこと、対して剣道は走ることにたとえてみることができる。人はあるくことができなければ走ることができない。それ故、居合の修業なくして剣の大道を歩むことは不可能である。・・・剣理に照らして居合を修し、居理に照らして剣道を修すことが、肝要とされるのである。
4.居合の修業が剣道に利することの一つは、手の内である。手の内の練りが確かでなければ、正しい刃並、刃筋が生まれない。手の内こそは、「切れる居合」の根本ともいえる。
 抜きつけた瞬間の手の内は切手を旨とする。切手学びの概ねをいえば、まず、小指を強く締め、くすりゆび、中指へと順々に締めること。その締め具合は小指、くすりゆび、中指と段々に移るに従いわずかずつ軟度がつくこと、そしてすべての指が締まった刹那に締めを解くこと、この三点を主に心がけて稽古することが大事とされる。
 居合が剣道に利することの二は、残心である。鯉口に峰を添えた瞬間に気を臍下にこめ、その気に従って自然に納刀するが、この場合に忘れてならないのが残心である。切ってなお心に油断を生じさせないことである。
5.居合は、もとより、敵の居ないところを切っても居合たり得ない。仮想敵を相手として単独修業するので何月をかけて修業しても容易に対敵居合、仮想的の湧出せる居合に到達できない。
 剣道修業が居合に利することは、剣道は現実の敵を相手として打突する。剣道の間合、拍子を対敵居合に生かすことができるのである。
6.居合の基本の中で強調しておきたいのは、目付である。目付は敵の顔面につけるのが自然の理にかなっている。しかし、遠山の目付といって、敵の顔面を中心に頭から足の先まで体全体を、遠山を見るごとくに見るのが、目付の基本である。居合修業がある程度進んでくると、仮想的の心に目をつけることが求められる。目付も段々に部分より全体へ、肉眼より心眼へと練り上げて行くことが大事である。
7.居合の基本姿勢を居合腰という。居合腰とは、次の動きを孕んだ活きた自然の姿勢と解してよい。姿勢をただし、臍下の丹田に力を入れることも大切。姿勢が呼吸をつくることを忘れてはならない。
8.さらには、気迫ということを心がけて修業することが肝要である。