伊豆守殿の能談義に学ぶ

 

 

伊豆守の「能」についての言葉がある。

・・・「一般に物を指し示すとき、たとえば、杉を指すしぐさをすることがある。そもそも、謡で杉と謡っても実際に杉があるわけではなく、何もないところを指すのであるから、ここが肝心のところである。そこで心の中で杉のあるところを思い、その杉を指すつもりとなって、杉を目の前に視るかのように扇で指せば、その様子は見事に実感がこもって見えるものである。これに反して普通の者は、ただ習ったとおりに、何の感情をこめようともせず、ただ扇を動かすだけで少しも精神の充実したところが見られない。この双方の違いをよくわきまえなければならない」と。

 

そこで、我が修業する居合道について思う。

見えない敵を視て切るのが居合。とすると精神を集中して技を使う事の大切さを思う。「形だけを習ったとおりに真似ているだけでは」と修業の未熟さを感じる。