道を求めて・・・宮本武蔵

吉川英治宮本武蔵」抜粋

◆「お通どうじゃの、わしが挿(い)けた花は生きておろうが」
伊賀の壺に、一輪の芍薬を投げ入れて、石舟斎は、自分の挿けた花に見惚れていた。
「ほんに・・・・・」
とお通はうしろから拝見している。
「お殿さまは、よほど茶道もお花もお習いになったのでしょう」
「うそを申せ、わしは公卿じゃなし、挿花や香道の師についたことはない」
「でも、そうみえますもの」「なんの、挿花を生けるのも、わしは剣道で生けるのじゃ」
「ま」
彼女は、驚いた目をして、
「剣道で挿花が生けられましょうか」
「生かるとも、花を生けるにも、気で生ける。指の先で曲げたり、花の首を縊(し)めたりはせんのじゃ。野に咲くすがたを持って来て、こう気をもって水へ投げ入れる。――だからまずこの通り、花は死んでいない」
水の巻 芍薬の使者 三より

◆数多い武者修行の中で・・・功成り名を遂げ、一人前の禄取りになるほどの者は一万人中で二人か三人を出ないであろう。―――それでいて修業の苦しさと、達成の至難なことは、これでいいという、卒業の行き止まりがないのである。
火の巻 佐々木小次郎 四より

◆会い難いものは人である。この世は人間が殖えすぎているくらいなものだが、ほんとの人らしい人には実に会い難い。・・・そういう嘆きをもつたびに、彼の胸には沢庵が思い出された。・・・・・あの人間らしい人間を。彼はいつもそう思った。<中略>武蔵は、禅によって人生の最高へ住もうとする沢庵に対して、自分は剣によって、どこまで沢庵の上に至ることができるかということを、実にすばらしい宿望の一つとして胸の底に抱いているのだった。
火の巻 山川無限 三より

◆剣に形、作法などがあるように、茶にも、作法があると聞いている。
今も、妙秀のそれを、武蔵はじっと見ていて、
(立派だ)
と、思った。
(隙がない)
彼の解釈は、やはり剣に拠る。
達人が剣を把って立った姿というものは、さながらこの世の人間とも思われない。その荘厳なものを今、茶をたてている七十のすがたにも彼はみた。
(道――芸の神髄――何事も達すると同じものとみえる)
うっとりと彼は考えていた。・・・
・・・
「――光悦どの」
武蔵はいってしまった。
「武骨者です、実は、茶などいただいたことがないので、飲むすべも、作法も知らないのですが」
すると妙秀が、
「なんのい・・・」
と、孫でもたしなめるように、やさしく睨めた。
「茶に知るの、知らぬのという、知恵がましい賢らしごとはないものぞよ。武骨者なら武骨者らしゅう飲んだがよいに」
「そうですか」
「作法が茶事ではない、作法は心構え。――あなたのなさる剣もそうではありませぬか」
「そうです」
「心がまえに、肩を凝らしては、せっかくの茶味が損じまする。剣ならば、体ばかり固うなって、心と刀の円通というものを失うでござりましょうが」・・・
風の巻 生きる達人 六より

◆機を観るといえば、伝七郎は武蔵のすがたを眼の前にしてから、満身の肉に戦いの生理を起こしていたが、武蔵のほうでは、彼の肉眼に自分を示す前から、とうに戦いを開始しているつもりで、戦いの中身を持って臨んで来ている。
風の巻 雪響き 七より

◆こう刀を構えて持つのは――青眼身となって戦うのは――伝七郎は自分の不得手であることを知っていた。だから、肱を上げ、真っ向に持ち直そうと、先程から幾度となく、切っ先を上げかけたが、どうしてもあげられなかった。
――武蔵の眼が、その機を、待っているからである。
その武蔵もまた、青眼に刀をぴたりと――肱をゆるめに構えていた。・・・
伝七郎の刀が、時折、位置を改めようとして動いては止め動いては止めしているのと反対に、武蔵の手にある刀は、びくとも動かなかった。その細い刀背から鍔にかけて、僅かに雪がつもるほど動かずにあった。
風の巻 雪響き 九より


安房守邸で沢庵と武蔵久しぶりの邂逅
沢庵「そちらの修業―また、今の境遇など訊きたいが」と、問いただした。
「今もって、未熟、不覚、いつまで、真の悟入ができたとも思われませぬ。――歩めば歩むほど、道は遠く深く、何やら、果てなき山を歩いている心地でございまする」と、述懐した。
「む。そうなくては」と、むしろ沢庵は、彼の嘆息を正直な声として、欣びながら、
「まだ、三十にならぬ身が、道のみの字でも、分ったなどと高言するようじゃったら、もうその人間の穂は止まりよ。・・・後略
二天の巻 四賢一燈 三より

◆相手の権之助なる人間が一体何者か・・・
彼の振る棒には、一定の法則があるし、彼の踏む足といい、五体のどこといい、武蔵から見て、これは立派な金剛不壊の体をなしている。かつて出会った幾多の達人中にも考え出されないほど、この泥臭い田夫の体の爪の先までが、武術の「道」にかない、その道の精神力に光っているのだ。
空の巻 木曾冠者 四より

◆一,二年前から、彼は、
―――人に勝つ。
剣から進んで、剣を道とし、
―――おのれに勝つ。人生に勝ち抜く。
という方へ心をひそめて来て、今もなおその道にあるのであったが、それでもなお、彼の剣に対する心は、これでいいとはしない。
(真に、剣も道ならば、剣から悟り得た道心をもって、人を生かすことが出来ない筈はない)
と、殺の反対を考え、(よしおれは、剣をもって、自己の人間完成へよじ登るのみでなく、この道をもって、治民を按じ、経国の本を示してみせよう)
と、思い立ったのである。
青年の夢は大きい・・・。
空の巻 一指さす天 三より

◆小次郎との決闘の場面
元より武蔵も無念。
巌流も、無念。
戦いの場は、真空であった。
が、波騒の外――
また、草そよぐ彼方の床几場の辺り――
ここの真空中の二つの生命を、無数の者が今、息もつかずに見守っていたに違いなかった。
巌流のうえには、巌流を惜しみ、巌流を信じる――幾多の情魂や禱りがあった。
また、武蔵のうえにも。あった。・・・中略・・・
しかし、ここの場所には、そういう人々の祈りも涙も加勢にはならなかった。あるのは、公平無私な青空のみであった。・・・中略・・・
ふと。おのれッと思う。
満身の毛穴が、心をよそに、敵へ対して、針のようにそそけ立ってやまない。
筋、肉、爪、髪の毛――およそ生命に付随しているものは、睫毛ひとすじまでが、みな挙げて、敵へ対し、敵へ かかろうとし、そして自己の生命を守りふせいでいるのだった。その中で、心のみが、天地とともに澄みきろうとすることは、暴雨の中に、池の月影だけ揺れずにあろうとするよりも至難であった。
円明の巻 魚歌水心 七より   八へ続く

「生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか」
それを考えると、卒然と、小次郎に対する愛情と、尊敬を抱いた。
同時に、敵からうけた、恩をも思った。剣をとっての強さ――単なる闘士としては、小次郎は、自分より高いところにあった勇者に違いなかった。そのために、自分が高いものを目標になし得たことは、恩である。
だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。
技か。天佑か。
否――とはすぐいえるが、武蔵にも分からなかった。
漠とした言葉のままでいえば、力や天佑以上のものである。小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは、精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。
円明の巻 魚歌水心 八より。