大工鉋の秘術

山岡鉄舟「剣禅話」に大工の鉋の秘術を例にとり、剣道修行について考えさせられる興味ある記述がある。

剣道修業の根本を語り、極意は自ら実践工夫し自得するものである、と教える。すなわち、上しこの手加減は自分でやってみて知るほかなく、どうやっても他人から伝えることなんかできやしないのだ、と説く。

「大工鉋の秘術」

大工の鉋を遣うには、あらしこ、中しこ、上しこの三つあり。
その稽古をするに、
 先ずあらしこを遣うには、体を固め腹を張り、腰をすえ、左右の手にひとしく力を入れて荒けずりをする。つまり総身の力を込め、骨を惜しまず、十分に働かざれば荒けずりはできぬものぞ。
 次は中しこなり。中しこは只総身の力を入れし計りにてはならず。自ら手の内に加減ありて、平らかにけずり、凡そ仕上げの小口となるなり。されど荒しこの精神なければ、此の中しこの平けきとなることなし。
 それより上しこの場に至るには、中しこの平けき上を又むらのなき様にけずるなり。それは一本の柱なれば,始めより終わり迄、一鉋にてけづらねばならぬ。柱の始めより終わり迄一鉋にてけづるには心を修るを第一とす。心修まれざれば種々のさはり出来てむらとなる。むらとなれば仕上げにならず。ここが大工のかんなを遣う肝要のところなり。

まず心、体、業の三つが備はらなばならぬぞ。身体業とは、鉋と人と柱との三つなり。
・・・身体業の三つが備わると云うは、鉋と人と柱と一所に働くところ、是が手に入らねば、いつ迄大工鉋の稽古をしても柱をよくけずることはならぬものぞ。

柱を能くけずるには初めの荒らしこを稽古が第一也。是をよくつかい得れば、中しこ上しこも遣うことが出来る。

されど、上こしを遣うに秘術あり。其の秘術と云は別の事ではなし。心、体、業の三つを忘れて、只だすらすらと行く処にあり。これでこそ仕上げが出来るなれ。其仕上の鉋と思わぬところが、秘術ともなんともいわれぬ面白き味がある。

是を学び得ねばなにを云てもむだ事ぞ。上しこの手の内は自得でなければ如何に思ふても伝ふると云こと出来ません。
<剣禅話>より引く

山岡鉄舟
幕末・明治の剣術家・政治家。江戸生。名は高歩、通称は鉄太郎。千葉周作の門に入り、のち無刀流を開く。