小さな体、大きな気迫

[昭和名人伝]十四世喜多六平太 小さな体、大きな気迫

◆身長わずか150センチほどの六平太が舞台に立つと、小ささを忘れさせる迫力に満ちる。
 血のにじむ稽古を積んだからだろうか。本紙に寄稿していわく、「この道の修業は、無限に続く石段を上っているようなもので、振り返って後を見るという余裕がない。舞台はただ一度……一歩一歩この石段を上ってゆくより致し方がない」(53年)。

喜多流能楽師の塩津 哲生あきおは、最晩年の六平太に接した。没後40年以上を経ても、印象は鮮烈という。
「体が小さくても大きく見えるのは、気迫、気合に尽きると思う。“気”の在り方が違った。長年の修業からにじみ出てくる美しさ、強さ、清らかさがにじみ出ていた」と話す。そして、「真っすぐ正しい芸というのが根底にあった。テクニックで魅了する人ではなかった」と強調する。

◆六平太は自著『六平太芸談』の中で、「初心忘るべからず」と題して次のように述べる。
〈もちろん 巧うま くやるということは大切なことなんだが、どっちかと言えば、技は少しくらいまずくても、いかにもひきしま った、人が襟を正すような芸の方が能らしいと言える〉

 能に限らず、芸能、そして人生全般に通じる言葉として胸を打つ 峻厳しゅんげん さがここにある。
2014年3月28日 読売新聞(文化部 塩崎淳一郎)より