訓練を忘れ心を捨て去る、道の極意

兵法家伝書は言う。「習いをはなれて習いにたがわず」と。

稽古の修行を十二分に積むことができれば、手足や体を動かしても、それによって心が動かされることはなくなり、訓練のことは念頭になくなって、しかも訓練の成果を生かし、すべての動きが自由になる。

訓練をしつくすことによって、また訓練を忘れ去るもの、これこそがすべての道に通ずる極意である。

何の道であれ、意識して技をふるう間はまだ本物といえまい。すなわち、無念無想のうちに瞬時に的確な判断をくだし、反射的に恐るべき技をふるうのが名人の境地であろう・・・・と解説者はいう。

剣道においても、試合に臨んでは、「無念無想なるを要す」と教えられる。心に思うことあれば、これに拘わりて、心も手足も自由の働きを失う、と。