五輪書「空の巻」

空の巻
合理に徹し実利を追求し、到達し得た“空”の境地。まよひの雲の晴れたるところこそ、実の空としるべき也。二刀一流の兵法の精神を、ここに空の巻として書きあらわした。空とは物ごとがないということ、人間が知ることのできぬことをいうものである。
武士としては、兵法の道を適確に会得し、いろいろな武芸を身につけ、武士としてのつとめについて心得ぬところがなく、心が迷わず、日々刻々に修養をつみ、知恵と気力をみがき、判断力と注意力を養い、一切の迷いをぬぐい去った状態こそ、真の空であると云う事ができる。
空を道、道を空。すなわち一切の迷いを去った心境こそが兵法の神髄であること。同時に人間としての最大限の修練を積むことにより、はじめて人智の及ぶべからざる空の境地を知ることができること、これをわきまえよ。
空という心には善のみがあって悪はない。兵法の知恵、兵法の道理、兵法の精神、こうしたものがすべて備わることにより、はじめて一切の雑念を去った空の心に到達することができるのである。
[ 独行道 ]
1、世世の道そむく事なし
1、身に楽みをたくまず
1、よろずに依怙のこころなし
1、一生の間欲心思はず
1、我が事におひて後悔をせず
1、善悪に他をねたむ心なし
1、いずれの道にも別れをかなしまず
1、自他共にうらみかこつ心なし
1、恋慕の道思ひよる心なし
1、物事にすき好む事なし
1、私宅におひて望む心なし
1、身ひとつに美食を好まず
1、末々什物となる古き道具所持せず
1、吾身にいたり物忌みする事なし
1、兵具は格別余の道具たしなまず
1、道におひては死をいとはず思ふ
1、老身に財宝所持もちゆる心なし
1、仏神は尊し仏神をたのまず
1、常に兵法の道をはなれず
正保2年5月12日
新免 武蔵
宮本武蔵著「五輪書」神子 侃訳 より抜粋