二宮尊徳に学ぶ
貧窮のどん底から一家を再考し、農村再建に生涯を捧げた江戸後期の篤農家・二宮尊徳。翁の残した珠玉の言葉は、私たちに様々な示唆を与えてくれる。
◆原因あって結果あり
善因には善果あり、悪因には悪果を結ぶことは、みな人の知るところなれども、目の前に萌して見えるものならば、人々よく恐れつつしんで善種を植え悪種を除くであろうが、いかんせん、今日蒔く種の結果は目前には萌さず、現れずして十年二十年乃至四十年五十年の後に現れるものなるがゆえになるが故に、人々迷っていて恐れないのは歎かわしいことである。これ世の人の迷いの根源なり。
しかれども世の中のすべて、原因のないということはなく、結果あらざるはなし。一国の治乱、一家の興廃、一身の幸不幸、みなそうである。恐れ謹んでよく考え、迷うなかれ。
翁は、因果の道理がもっとも見やすいのは、蒔いた種がはえることだ、と例示する。
◆小さい事を積み上げる
「大事をなさんと欲せば、小さなる事を怠らず勤べし。小が積もりて大となればなり。およそ小人の常として、大なることを欲して、小なることを怠り、でき難きことを憂いて、でき易き事を勤めず。それ故、ついに大なる事をなすことあたわず。大は小を積んで大となる事を知らぬ故なり。たとえば、百万石の米といえども、粒の大なるにあらず。万町歩の田を耕すも、その業は一鍬ずつの功にあり」と。
◆富の種を蒔こう
米蒔けば米の草はえ米の花 咲きつつ米の実る世の中
麦蒔けば麦の草はえ麦の花 咲きつつ麦の実る世の中
うり蒔けば・・・ なす蒔けば・・・
と、天地の理を諭した。
富蒔けば富の草はえ富の花 咲きつつ富の実る世の中
貧蒔けば貧の草はえ貧の花 咲きつつ貧の実る世の中
・・・心理をついた含蓄のある言葉といえよう。