ノーベル生理学・医学賞に山中伸弥教授

ノーベル賞の受賞が決まった山中伸弥さんは、講演会などで印象深い言葉を残してきた。

 研究者としての哲学、難病患者をiPS細胞で治したいという強い思い……。周囲から「誠実」「思慮深い」と評される人柄を感じさせるとともに、大阪生まれで、生粋の関西人らしいユーモアもうかがえる。

 ◆技術者のマインド◆

 ミシンの部品を作る小さな町工場を経営していた父を尊敬していた。58歳の若さで亡くなったが、「経営者でもあったが、最後まで技術者だった。それを見て育ったので研究者より技術者というマインドの方が強い」(2011年3月、報道各社のインタビュー)

 ◆人の役に立ちたい◆
学生時代、スポーツで骨折を繰り返し、神戸大卒業後、整形外科医を志した。しかし、名医でも治せないけがや病気があるという現実を目の当たりにし、基礎医学へ転身した。「元々臨床医の私が基礎医学をやっているのは、多くの人の役に立ちたいから。ようやく、その可能性があるiPS細胞に巡りあえた」(07年12月、日本分子生物学会の講演で)

 ◆ハードワーク◆

 1993年、米国に渡り、本格的な研究者人生をスタートさせた。一生肝に銘ずる言葉と出会う。「Vision(ビジョン)& Hard Work(ハードワーク)。目的をはっきり持ち、それに向かって懸命に働くということ。研究者が成功する条件で、日本人はハードワークは得意だが、ビジョンを見失っている学生が本当に多い」(08年4月、母校の神戸大入学式の特別講演で)

 ◆夢あるテーマで◆

 99年に奈良先端科学技術大学院大に助教授として採用され、初めて研究室を率いた。iPS細胞を研究テーマとしたことについて「学生が来てくれないと大変なので、これはもう、だますしかないなと。夢のあるテーマをあげたらだまされて来るんじゃないか」(08年9月の日本移植学会特別講演で。冗談で聴衆の笑いを誘う)

 ◆1日持つ意味違う◆

 「この技術を待っている患者さんと我々では1日の持つ意味が違うということを毎日私自身にも、研究員にも言い聞かせている」(09年5月、難病患者向けの講演会で。筋ジストロフィーの患者から「治療の段階まで早く研究を進めてほしい」と懇願されて)

 20121090811 読売新聞)