心を止めないことが肝要


剣術伝書の中でも「不動智神妙録」や「五輪の書」は、一度は読む価値がある書物でをあると云われている。
不動智神妙録は、江戸時代初期の禅僧・沢庵宗彭が執筆した「剣法と禅法の一致(剣禅一致)」についての書物である。
心が一つの物事に捉われれば、体が不自由となり、迷えば、わずかながらでも心身が止まる。これらの状態を禅の立場から良しとせず、達人の域に達した武人の精神状態・心法を、「無意識行動」かつ心が常に流動し、「迷わず、捉われず、止まらず」であることを説く。

 

 

「心をいずこに置こうぞ」


敵の身の働きに心を置けば敵の身の働きに心をとられる。敵の太刀に心を置けば敵の太刀に心をとられる。敵を切ろうということに心を置けば敵を切ろうとすることに心をとられる。我が太刀に心を置けば我が太刀に心をとられる。切られまいと思うことに心を置けば切られまいと思うことに心をとられる。相手の構えに心を置けば相手の構えに心をとられる。とかく心の置きどころはないといわれている。
ある人は、わが心をよそにやればこころの行ったところに心を奪われて敵に負けるのだから、心をわが臍の下に押し込めてよそにやらず、敵の働きに応じて対処してゆけ、という。これはもっともなことではあるが、最高のものとはいえない。
・・・どこにせよ一カ所に置こうとすればそれ意外の方はすべてお留守となってしまう。では、どこにおけばよいか。どこにも置かなければよい。特定の場所に置くことをしなければ、心は全身のうち至る所に行き渡って、必要とする場所で間違いなく役に立つことができるでしょう。


心をどこに置くかなどと考えること自体が、すでに囚われた心であり、そうした思案を捨て去ったところにこそ心の自由な働きが生まれるということであろう。


後段、「心をいずこに置こうぞ」は武道秘伝書より引く。