居合道八段・七段審査会寸評2023

居合道八段審査・審査員の寸評 全剣連「剣総」2024,1月号掲載

(2023,12,9実施、江戸川スポーツセンター)

 八段審査には、受審者の受審態度に修行の深さを感じさせることが必要だと思います。

 審査に当たって、解説書の基本(礼法・作法)、要義と動作の理合が充分に理解されているかを見させて頂きました。仮想を実想として(理合のある)演武をされていない方が見受けられたことは残念に思いました。

 最高位の八段として、居合道称号段位審査実施要領の「段位審査の方法」一項の一号、二号を修得し、二項の理合・風格・品位に繋がるように、日々、稽古を積み重ねることが二項の理合・風格・品位を生み出すことになると言われています。

 鞘の内で気攻め・体攻め・やむを得ず鞘放れをすれば、剣の攻めと冴え(激しい抜きつけ・切り下し)、その後の残心を最後まで維持継続することが大切であります。

 技の錬度(修行の深さ)が自然に表現されれば、目標達成に繋がるのではないでしょうか。

 

 

 居合道七・六段審査・審査員の寸評 全剣連「剣総」2024,1月号掲載

(2023,12,10実施、江戸川スポーツセンター)指定技6本

 演武の心得として、充実した気勢、正確な刀法、適法な姿勢(気・剣・体の一致)を心がけ、真剣勝負の心境で行ずる心がけが大切とあります。これらを基に各技の留意点を含め審査に臨みました。

・一本目 前 抜きつけ後の振りかぶりは受け流しではなく小指を緩めず、しっかり後ろを突く気持ちで振りかぶり、切っ先が水平より下がっていないか?血振りの切っ先は45度前下がりとなっているか?

・三本目 受け流し 受け流しから袈裟に切り下ろす動作が一連の動きとなっているか?

・五本目 袈裟切り 逆袈裟に切り上げたとき、しっかり切り上げて刀を返しているか?

・九本目 添え手突き 右袈裟に抜き打ちした時、右こぶしがへその高さとなり、切っ先は右こぶしよりわずかに上がっているか?

・十本目 四方切り 柄当ては強く柄の平で打っているか?敵の水月を突き刺した後、右斜め前の敵に振り向き刀を引き抜くとき剣先が先に上がっていないか?

・十一本目 総切り 敵の左斜め面、次に右肩、さらに左胴を切り下ろす時、頭上から切り下ろす角度と切り下ろした位置が正確であるか?

 以上が審査の中で特に気になった点です。

剣道八段、七段審査会寸評2023

剣道八段審査・審査員の寸評  全剣連「剣総」2024,1月号掲載

(2023,11,21実施、日本武道館

 審査では段位付与基準に相応しい内容があるか、充分な稽古をされているか、的確な技を身につけているか等、総合的に判断されます。しかし、実技審査では次のような問題点が散見されました。着装、構え、姿勢が悪く、礼法、所作が身についていない、打突については、正中線を攻めていない、上半身が力んでいる、捨てきっていない、踏み込みが弱い、気剣体が一致していない、といった打突が目立ちましたので、今後の課題としてください。

気で攻めて、理で打つ(一刀流の訓え)、肚で打つ。苦しくなって出るところ、退くところ、打ちの尽きるところを身も心も捨て切って打突をする。立ち会ったら、「さあどこからでも来い」という気持ちを持ち相手の動きに反応しないことが大切です。若い時は技を学び、壮年は気を養う、高年は風格を養うと言われています。最後になりますが、剣の理法に基づき竹刀を通じて尚一層自己を磨き、剣風を高められ、次回の審査に立たれることを期待します。

 

 

 剣道七・六段審査会・寸評      全剣連「剣総」2024,1月号掲載

(2023,11,16実施、八王子)

 審査会当日の着装・所作事については指摘することも少なく、特に問題はなかったと思います。ただ、立合い開始から終了までについて、

1.立ち上がると同時に互いに「やあやあ」と発声している人が多かった。
 ケースバイケースとは思いますが、私は相手が発生した数秒置いて発声しています。その方が格上に見える気がするからです。

2.打ち切る打突が少なかった。
 打突を決めたとしても、打ち切っておらず評価を得ることが出来ない、あるいは評価が下がることになった、こんな損なことはないと思います。

3.一本技(単発)の打突が多かった。
 打ち切ることと連動すると思いますが、気持ちは切らずに初打ち、初打ち、初打ちの繰り返しで打突を決めきる。

 以上、3点が気になりました。

 これらを改善する為の稽古法について簡単に紹介します。
〇準備運動は必ず実施
〇素振りは空気を切る音(ブシュ)を感じること。
〇技の稽古については
ア、一足一刀の間合よりも近間から左足を継がないで一拍子(調子)の打突(上げ下ろしを素早く)
イ、竹刀が触れない間合から一歩攻めて打突
ウ、出端技の修得、最初は相対動作で実施

 以上、所感を述べました。最後に稽古は嘘をつかない、ご指導いただいている先生、自分を信じて頑張ってください。皆様のご活躍を期待しています。

 

 

2023剣道審査会寸評

                全剣連「剣窓」2023,10月号より

◆剣道八段

2023,8月12日・13日

受審者:1123名

合格者:7名

合格率:0,6%と厳しい合格率だった。

岡田先生の寸評:剣道八段に求められるのは、最高段位に相応しい気・剣・体一致と品位・風格です。

立会いで配慮すべきことは、

○攻め崩して、機会を捉えた打突

○打突の瞬間におけるスピードと強さによる、冴えのある打突

○高齢者の方においては、手打ちにならず足腰で打ち切る打突

剣道七・六段審査会寸評

剣道審査会の結果について、「剣 窓」令和5年7月号に掲載されたので、その内容を転載した。これからの稽古に活かしたいと思う。

 

剣道七・六段(愛知)審査会 

2023,5,13 名古屋市枇杷島スポーツセンター

七段合格率 18.7%(受審者878名、合格者164名)

六段合格率 26.9%(受審者836名、合格者225名)

 

◆審査員の寸評(抜粋)

・着装を整えた受審者の立会い前から充実した気勢で望む緊張感が伝わってきた。

・年齢層の若い受審者の力強い打突に石火の勢いが多く感じられた。

・女性や高齢者の方の立会いでは、円熟した経験を表すかの如くしなやかで、鎬を使った攻め合いも見られた。

・攻めの勢いを感じられる方たちの左脚に注目した。膕の適度な緊張と緩み、何時でも打突に転じられる構えと、左手の納まり、素晴らしい方が大勢見られた。

・勢いを感じる立会いは正しい姿勢、充実した気勢があり、剣道試合の有効打突の要件を満たし、打突後の余韻すら感じるものだと思いました。

・このような立会いが多く見られた反面、仕掛ける技も、相手を引き出し応じていく技も不十分なままの方もおられました。

 

※充実した気勢で「攻める・ためる・打ち切る」の一連の動作を身につけたいものである。

2023剣道七・六段審査寸評に学ぶ

◆2023,2,4剣道七・六段審査会の結果(福岡市総合体育館)

剣道七段合格率:14.1%

剣道六段合格率:23.8%

 

「剣道七・六段審査会(実技)寸評」

1.礼法、姿勢、構えは立派だったが、着装では面紐の長さ、色あせた剣道着が散見された。

2.全般的に蹲踞から立ち上がり、触刃の間から交刃の間までの気の攻め合いがないままに、早打ちが目立ち、有効打突につながらない無駄打ちが見受けられた。正しい姿勢からの間合で気力を充実させ気による攻め合い、攻め勝って打ち切る攻めの攻防が大切。

 

◆2023,2,18剣道七・六段審査会の結果(長野ホワイトリング

剣道七段合格率:20.6%

剣道六段合格率:27.9%

 

「剣道七・六段審査会(実技)寸評」

1.立会い 

立ち上がりからすぐさま面打ちを繰り返すことが目立つ。まず身構え、気構え、何よりも肝心なのは相対した際の充実した気勢、気迫が伝わってくる立会いが大事。攻防で相手に攻め勝ち崩して打突の機会を作ること。充実した気勢もなく打突の機会でもないのに開始早々に打って出る行為は止めること。

2.打突の強度

一番多く見られるのが打ちの弱さである。一本(有効打突)にならない立会いをいくらやっても審査員の心には響かない。

3.体の崩れ

立会い中、何度も体がくずれる方を見受ける。小手を打ったとき、胴を打ったとき、体当たりしたときに見られる。体捌きできていない。

4.結びに

誰が見てもきれいな構え、体が崩れず力強い打ち、さらに打突の好機を会得して欲しい。

 

(以上、全剣連「剣窓」2023年4月号より引く。)

 

吉川英治「宮本武蔵」抜粋

再び「武蔵」を読んだ。主人公らが剣の道を語り合う場面が印象深い。その一場に含蓄ある言葉が配されている。

吉川英治宮本武蔵」抜粋>

◆「お通どうじゃの、わしが挿(い)けた花は生きておろうが」

伊賀の壺に、一輪の芍薬を投げ入れて、石舟斎は、自分の挿けた花に見惚れていた。

「ほんに・・・・・」

とお通はうしろから拝見している。

「お殿さまは、よほど茶道もお花もお習いになったのでしょう」

「うそを申せ、わしは公卿じゃなし、挿花や香道の師についたことはない」

「でも、そうみえますもの」「なんの、挿花を生けるのも、わしは剣道で生けるのじゃ」

「ま」

彼女は、驚いた目をして、「剣道で挿花が生けられましょうか」

「生かるとも、花を生けるにも、気で生ける。指の先で曲げたり、花の首を縊(し)めたりはせんのじゃ。野に咲くすがたを持って来て、こう気をもって水へ投げ入れる。――だからまずこの通り、花は死んでいない」

水の巻 芍薬の使者 三より。

◆数多い武者修行の中で・・・功成り名を遂げ、一人前の禄取りになるほどの者は一万人中で二人か三人を出ないであろう。―――それでいて修業の苦しさと、達成の至難なことは、これでいいという、卒業の行き止まりがないのである。

火の巻 佐々木小次郎 四より。

◆会い難いものは人である。この世は人間が殖えすぎているくらいなものだが、ほんとの人らしい人には実に会い難い。・・・そういう嘆きをもつたびに、彼の胸には沢庵が思い出された。・・・・・あの人間らしい人間を。彼はいつもそう思った。<中略>武蔵は、禅によって人生の最高へ住もうとする沢庵に対して、自分は剣によって、どこまで沢庵の上に至ることができるかということを、実にすばらしい宿望の一つとして胸の底に抱いているのだった。

火の巻 山川無限 三より。

◆剣に形、作法などがあるように、茶にも、作法があると聞いている。

今も、妙秀のそれを、武蔵はじっと見ていて、

(立派だ)

と、思った。

(隙がない)

彼の解釈は、やはり剣に拠る。

達人が剣を把って立った姿というものは、さながらこの世の人間とも思われない。その荘厳なものを今、茶をたてている七十のすがたにも彼はみた。

(道――芸の神髄――何事も達すると同じものとみえる)

うっとりと彼は考えていた。・・・

「――光悦どの」

武蔵はいってしまった。

「武骨者です、実は、茶などいただいたことがないので、飲むすべも、作法も知らないのですが」

すると妙秀が、

「なんのい・・・」

と、孫でもたしなめるように、やさしく睨めた。

「茶に知るの、知らぬのという、知恵がましい賢らしごとはないものぞよ。武骨者なら武骨者らしゅう飲んだがよいに」

「そうですか」

「作法が茶事ではない、作法は心構え。――あなたのなさる剣もそうではありませぬか」

「そうです」

「心がまえに、肩を凝らしては、せっかくの茶味が損じまする。剣ならば、体ばかり固うなって、心と刀の円通というものを失うでござりましょうが」・・・

風の巻 生きる達人 六より。

◆機を観るといえば、伝七郎は武蔵のすがたを眼の前にしてから、満身の肉に戦いの生理を起こしていたが、武蔵のほうでは、彼の肉眼に自分を示す前から、とうに戦いを開始しているつもりで、戦いの中身を持って臨んで来ている。

風の巻 雪響き 七より。

◆こう刀を構えて持つのは――青眼身となって戦うのは――伝七郎は自分の不得手であることを知っていた。だから、肱を上げ、真っ向に持ち直そうと、先程から幾度となく、切っ先を上げかけたが、どうしてもあげられなかった。

――武蔵の眼が、その機を、待っているからである。

その武蔵もまた、青眼に刀をぴたりと――肱をゆるめに構えていた。・・・

伝七郎の刀が、時折、位置を改めようとして動いては止め動いては止めしているのと反対に、武蔵の手にある刀は、びくとも動かなかった。その細い刀背から鍔にかけて、僅かに雪がつもるほど動かずにあった。

風の巻 雪響き 九より。

安房守邸で沢庵と武蔵久しぶりの邂逅

沢庵「そちらの修業―また、今の境遇など訊きたいが」と、問いただした。

「今もって、未熟、不覚、いつまで、真の悟入ができたとも思われませぬ。――歩めば歩むほど、道は遠く深く、何やら、果てなき山を歩いている心地でございまする」と、述懐した。「む。そうなくては」と、むしろ沢庵は、彼の嘆息を正直な声として、欣びながら、「まだ、三十にならぬ身が、道のみの字でも、分ったなどと高言するようじゃったら、もうその人間の穂は止まりよ。・・・後略

二天の巻 四賢一燈 三より。

◆相手の権之助なる人間が一体何者か・・・

彼の振る棒には、一定の法則があるし、彼の踏む足といい、五体のどこといい、武蔵から見て、これは立派な金剛不壊の体をなしている。かつて出会った幾多の達人中にも考え出されないほど、この泥臭い田夫の体の爪の先までが、武術の「道」にかない、その道の精神力に光っているのだ。

空の巻 木曾冠者 四より。

◆一,二年前から、彼は、

―――人に勝つ。

剣から進んで、剣を道とし、

―――おのれに勝つ。人生に勝ち抜く。

という方へ心をひそめて来て、今もなおその道にあるのであったが、それでもなお、彼の剣に対する心は、これでいいとはしない。

(真に、剣も道ならば、剣から悟り得た道心をもって、人を生かすことが出来ない筈はない)

と、殺の反対を考え、(よしおれは、剣をもって、自己の人間完成へよじ登るのみでなく、この道をもって、治民を按じ、経国の本を示してみせよう)

と、思い立ったのである。

青年の夢は大きい・・・。

空の巻 一指さす天 三より

 

◆小次郎との決闘の場面

元より武蔵も無念。

巌流も、無念。

戦いの場は、真空であった。

が、波騒の外――

また、草そよぐ彼方の床几場の辺り――

ここの真空中の二つの生命を、無数の者が今、息もつかずに見守っていたに違いなかった。

巌流のうえには、巌流を惜しみ、巌流を信じる――幾多の情魂や禱りがあった。

また、武蔵のうえにも。あった。・・・中略・・・

しかし、ここの場所には、そういう人々の祈りも涙も加勢にはならなかった。あるのは、公平無私な青空のみであった。・・・中略・・・

ふと。おのれッと思う。

満身の毛穴が、心をよそに、敵へ対して、針のようにそそけ立ってやまない。

筋、肉、爪、髪の毛――およそ生命に付随しているものは、睫毛ひとすじまでが、みな挙げて、敵へ対し、敵へ かかろうとし、そして自己の生命を守りふせいでいるのだった。その中で、心のみが、天地とともに澄みきろうとすることは、暴雨の中に、池の月影だけ揺れずにあろうとするよりも至難であった。

円明の巻 魚歌水心 七より   八へ続く。

「生涯のうち、二度と、こういう敵と会えるかどうか」

それを考えると、卒然と、小次郎に対する愛情と、尊敬を抱いた。

同時に、敵からうけた、恩をも思った。剣をとっての強さ――単なる闘士としては、小次郎は、自分より高いところにあった勇者に違いなかった。そのために、自分が高いものを目標になし得たことは、恩である。

だが、その高い者に対して、自分が勝ち得たものは何だったか。

技か。天佑か。

否――とはすぐいえるが、武蔵にも分からなかった。

漠とした言葉のままでいえば、力や天佑以上のものである。小次郎が信じていたものは、技や力の剣であり、武蔵の信じていたものは、精神の剣であった。それだけの差でしかなかった。

円明の巻 魚歌水心 八より。